「粋を目指す野暮であれ」不良牧師アーサー・ホーランドの生き様
DIVINER Presents
アーサー・ホーランド×DIVINER
─ 妥協のない男達の生き様 ─
DIVINERのコンセプト「RECKLESS LIFE=妥協のない生き様」を軸に、己を貫き通す男達に密着。
今回は、教会の枠を飛び出し、ストリートで愛を伝える「不良牧師」ことアーサー・ホーランド氏。
DIVINERのディレクターと親交があり、過去にはモデルも務めるなど、長年にわたり互いのスピリットに深く共鳴してきた関係だからこそ、この度特別対談を敢行。
75歳を迎えた今、「過去にも未来にも胡坐をかかない」と語る真意とは?
十字架を背負い、今この瞬間(Right now)を全力で生き抜く男の生き様に迫る。
目次
第一章
なぜ善良ではなく「不良」なのか
―「不良牧師」その強烈なキャッチフレーズの由縁を教えてください
アーサー・ホーランド氏(以下、アーサー氏)世間一般が持つ「牧師」のイメージって、どこか宗教的で、真面目で、ステレオタイプなものがあるじゃない。
でも俺は、そういう“タブー”を通して自分を表現する人間なんだよ。
そもそも聖書にあるジーザス(イエス・キリスト)の教えは、「私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た」というもの。
当時、その言葉に一番反発したのは、皮肉にも宗教的なエリートたちだったんだよ。
クリスチャン(キリスト教徒)っていうのは、決して自分を『善良な人間だ』と思っている奴らのことじゃない。
自分は不完全な者だけど、そんな俺のために命をかけてくれたジーザスに救われた、そこに大きな「恩義」を感じている人間のことなんだよ。
だから、自分が「良」か「不良」かって言われたら、間違いなく「不良」なわけ。
―自分を良く見せるのではなく、
原点を忘れないということですね。
アーサー氏そう。「不良牧師」なんて名乗ると、
当然他の牧師から「牧師が不良であってはならない」ってクレームが来る(笑)。
でも俺から言わせれば、「人間みんな不完全なら、全員不良でしょ」って話なんだよね。
聖書に出てくる偉大な聖者パウロだって「私は罪人の頭(かしら)だ」と言い残している。
「善良な牧師」より「不良な牧師」の方が、絶対に興味を持たれる。
一般社会を正しく生きられない人たちが、
「え? 綺麗に生きられない男が牧師をやってるの?」って興味を持ってくれるための、俺なりのキャッチコピーなんだよ。
みんな影を背負いながら光を目指すんだけど、光だけじゃ眩しすぎるし、綺麗すぎて近寄れない。
でも、聖書が伝える神の本質は「光は闇の中に輝いてくれる」ということ。
これならば、俺たちのような不完全な人間でも生きていける。
闇の中に輝く光が神なら、野暮な俺たちのところに降りてきて「一緒に歩こう」って寄り添ってくれる。そんな感覚だよね。
第二章
アンダーグラウンドで育った魂と、
タトゥーに宿る摂理
―その「不良牧師」というネーミングは、
周りから言われ始めたものなんですか?
アーサー氏いや、ある時自分の中でインスピレーションとして“降りてきた”んだよ。
俺が育ったのは大阪の西成区。
周りには娼婦もヤクザも、警察官もオカマも、世間からはみ出しものと見なされる連中がごちゃ混ぜで集まっていた。
そうしたアンダーグラウンドなカルチャーの中で俺は見てきたんだ。世間から上から目線で見られている連中が、実はものすごくハートのある良い奴らで、逆に表向き真面目ぶっている奴らが、実は冷たい人間だったりするのをね。
だから俺の魂には、このアンダーグラウンドにふさわしい「不良牧師」というネーミングがバチッとハマった。
結果的にこの40年間、その生き方をずっと貫いているよ。
―だからこそ、一般的な教会には行かないようなアウトローな人たちが、アーサーさんの元へ集まるのですね。
アーサー氏そうなんだよ。
俺は牧師になってからタトゥーを入れたんだけど、
当然タトゥーを入れた瞬間に縁を切られる教会もあるわけ。
でもね、俺がタトゥーを入れてるからこそ、彫り師の連中が俺の話を聞きに来るようになった。
現にタトゥーコンベンションでは4年連続でスピーカーとして話をしているし、全身タトゥーの男を通じて、ヤクザの親分さんが「俺のファンだ、話がしたい」って子分を引き連れて会いに来てくれたこともある。
普通の牧師じゃ絶対に行けない場所に、俺は行ける。
普段なら絶対に教会の話なんて聞かないような奴らが、
俺の言葉を聞いて涙を流し、感動してくれる。
あのルートを開くことができたのは、このネーミングと、この生き方を選んだから。
これはもう「摂理(運命)」的なものだと思っているよ。
昔の不良もそうだけど、魅力的な不良もいれば、魅力のない不良もいる。
俺は自分自身「野暮だけど、粋(いき)を目指す野暮」でありたい。
例え世間から後ろ指をさされようが、ジーザスが見せてくれたあの最高に“粋な生き様”を目指したい。
自分が罪深い原点から救われたという神への恩義を死ぬまで忘れない。
それが俺の原点だね。
第三章
闇に輝く光と、
街へ飛び出す「ウーバーチャペル」
―代名詞でもある、重い十字架を背負って
世界中を練り歩く「十字架行進」。
この前代未聞の活動を始められたきっかけは何だったのでしょうか?
アーサー氏
40年くらい前かな。
新宿のアルタ前で友達の牧師に待たされてさ、「遅えな」と思いながら行き交う人混みを眺めてたんだ。
新宿は1日に何百万人も通る日本一混雑する街だけど、「この中でクリスチャンっていったい何パーセントいるだろう。きっと1パーセント弱だろうな」って思ったわけ。
聖書には、イエスは100匹の羊のうち1匹が迷子になったら、99匹を安全な場所に残して、その迷った1匹のために命がけで助けに行くという話がある。
でも、今の日本は99匹が迷っているような状態。
おまけに「教会」っていうのはどこか敷居が高くて、
「自分なんかが行く世界じゃない」という印象を持たれがち。
だったら、ジーザスが俺たちのところに降りてきてくれたように、俺も彼らのところへ向かっていけばいい。
教会という「建物」は持って行けないけど、そのシンボルである「十字架」を担いでいくことはできる。
最近はウーバーイーツがあるけど、俺こそが「ウーバーチャペル」の先駆けだよ(笑)。
建物を飛び出して、俺自身が教会のシンボルを背負って人のところへ向かう。
「俺がいる場所が教会だ」っていうスタイルだね。
第四章
宗教ではなく「男気」
―人生、活動の中での拘りは何ですか?
アーサー氏
一言で言うなら、「恩義」だね。
俺たちを救うために、自らの命を捧げてくれた存在。
愛っていうのは、口先だけで気持ちいいもんじゃなくて、必ず「犠牲」を伴うものなんだよ。
ジーザスは言った。「人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない」って。
その犠牲のおかげで、俺は今、救いというものを体験させてもらっている。
だから俺は、ジーザスに強烈な恩義を感じているんだ。
他の牧師はこんな言い方をしないけど、俺にとってジーザスは、
親分であり、兄貴であり、叔父貴であり、親友なんだ。
絶対に足の裏を向けられない存在。
俺はキリスト教という「宗教」をやっているんじゃない。
このジーザスに惚れて、この方の男気、人間味に惚れて、この方の弟子(舎弟)になったんだよ。
その最高に粋なスピリットを、野暮な俺だけど少しでも爪を煎じて飲むようにして生きていきたい。
それが拘りだね。
第五章
一番伝えたい言葉「You are loved」
―活動や生き様を通して、
人々に届けたいものを教えてください
アーサー氏
「You are loved(あなたは愛されている)」
これに尽きるね。
この普遍的で永遠の愛を、有限な社会に生きている俺がどれだけ表現できるか。
それは俺の人生の永遠のテーマかもしれない。
―アーサーさんから溢れ出るエネルギーそのものが、
メッセージになっていると感じます。
アーサー氏
伝えるっていうのは、言葉だけじゃないんだよ。
自分の「存在感」で伝える、自分の「熱」で伝える、自分の「香り」で伝える……あらゆる方法がある。
俺自身がジーザスに“感染”しているんだから、俺と触れ合った奴らにもキリストの「You are loved」は自然と感染していくものだと思うんだ。
愛に感染しながら、周りを感染させていく。
願わくば、そういう生き方をしていたいよね。
第六章
死を見つめ、今を生きる(Right now)
―最高にロックな愛の形ですね。
では、今後の展望や目標について教えていただけますか?
アーサー氏
聖書の中に「生きることはキリスト、死ぬことは益だ」という言葉がある。
死っていうのは、誰にでも必ずやってくるもの。
俺はもう75歳。人生80年とするなら、大病にかからなくても計算上は余命5年なんだよ(笑)。
すべての営みには時があって、生まれる時があれば、死ぬ時がある。これは宿命だ。
登山で言えば、俺はもう山頂を過ぎて、死というゴールを見つめながら下山している状態。
だからこそ、先のことはもう深く考えない。
それと同時に、過ぎ去った過去の栄光に胡坐(あぐら)をかくこともしない。
聖書には「今日が恵みの時であり、この日は神が与えてくれた日。だからこの日を喜び楽しもう」とある。
今日を全力で喜び楽しめば、明日も絶対に楽しめる。そういう意味での『Right now(今を生きる)』が目標かな。
エピローグ
―最後に、ご自身にとって
「RECKLESS LIFE=妥協のない生き様」とは
アーサー氏
「自分の弱さと素直に向き合える者であれ」ということだね。
人間には足りないところが山ほどある。
それを知った上で、胡坐(あぐら)をかくのではなく、「そこから一歩でも、1ミリでも成長する自分を目指せ」ということなんだよ。
自分は不完全な罪人だけど、あの粋なジーザスの高みを目指す罪人でありたい。
そう願うからこそ、俺たちは挫折を繰り返しながらも、そこに向かって動き続けることができる。
―強がるのではなく、自分の内側を誤魔化さずに見つめる覚悟ですね。
アーサー氏
そう。人が自分のことをどう褒めようが、調子に乗っちゃいけない。
他人の評価に振り回される人間ではなく、自分の心の芯(コンディション)をちゃんと持てる人間になること。
聖書に「心の貧しいものは幸いだ、神の国はその人のものだから」という言葉がある。
自分の中に貧しさや、飢え渇きがあることを素直に認めるからこそ、「満たされたい、もっと成長したい」という渇望が生まれる。
己の弱さを認めることができる者だけが、本当に強くなれるんだよ。
自分の内側を素直に見つめ、そこから溢れ出るような魅力を醸し出せるよう努力することが、俺にとっての妥協のない生き様だね。
【編集後記】
「計算上は余命5年なんだよ」。
対談中、アーサー氏は笑いながらそう口にした。
それは自身の死という現実を冷静に見つめるリアルであり、同時に「だからこそ今日、今この瞬間に命を燃やす-Right now(今を生きる)-」という強い覚悟の表れだった。
光を届けるために、闇へと歩み寄る。
重い十字架を背負い、建物を飛び出した「不良牧師」アーサー・ホーランドが、今この瞬間も日本のストリートに愛のスピリットを感染させている。
その姿は、ジーザスの男気に惚れ込んだ一人の弟子として、どこまでも泥臭く、誰よりも“粋”だった。
Profile
─ アーサー・ホーランド ─
大阪府西成区生まれ。米国人の父と日本人の母を持つ。
学生時代はレスリング全米選手権で優勝するなど一流の格闘家として活躍。
23歳の時にカリフォルニアの海で洗礼を受け、牧師の道へ進む。
「不良牧師」の異名を持ち、全身のタトゥーやハーレーダビッドソンを愛するアウトローなスタイルで、教会という枠を飛び出しリアルなストリートで活動。
約40キロの十字架を背負い日本列島やアメリカ大陸などを歩き続ける「十字架行進」は40年以上続いており、現在も最前線で普遍の愛「You are loved」を伝え続けている。
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